別れた理由を考える
別れた後、しばらく時間が経ち反省し見ると、なぜ別れてしまったのか理由が多々見つかると思います。もっと違うことを言ってあげればよかったとか、こうしておけばよかった、など自分なりの反省が出てくると思います。
その気持ちは大事です。ですが、だからといってすぐに相手に謝罪してはいけません。相手は今あなたと距離をおきたいのです。
それなのに、あなたの勝手な自己満足で謝ってしまうと、かえって逆効果なのです。あなたに対する嫌な記憶がよみがえって、復縁が困難になってしまうからです。
謝罪するには、そのタイミングというものがあります。相手の望むタイミングで謝罪するということです。別に謝りたい気持ちを捨てるということではありません。時期を見計らなければいけないということなのです。
それまでは謝罪の気持ちは大事に取っておきましょう。必ずその時期が来ます。それまでにやることはまだたくさんあります。それまでに気持ちを取っておきましょう。
特に別れた直後、もっとああしておけばよかったかなぁ、あの時こうしていたら別れていなかったかも・・・と、うつ状態やパニックになり、相手にしつこく迫るというケースがあります。
しかし、これは逆効果です。自分が振った側の立場になって考えてみれば分かりやすいかと思います。別れには必ず前兆のサインが相手から出ているものです。
別れの理由・失恋の原因について考え、それを見極める事が大事です。では、男女の別れの原因として多いのはどのようなことなのでしょうか。
男女共通で多い別れの理由としては、
- 真面目すぎて面白味がなく一緒に居て退屈に感じさせた
- 束縛が強く相手の行動やメールの内容をチェックして精神的に疲れさせていた
- 全ての事を悪い方にしか考えないマイナス思考のため相手が避けた
などがあります。次に、男性側に多い原因として代表的なのが、
- 性格がしつこくて猜疑心が強い
- お金に細かくケチっぽい
- 全てを自分の基準で考え相手にその基準を押し付けがちである
- 神経質で細かいところまで口を挟む
などです。女性側に多い原因で代表的なものは、
- 外見や話し方やしぐさ等に女性的な魅力が乏しい
- 優しさや気配りが足りない
- 常に自分を優先してもらえないと機嫌が悪くなる
などが挙げられます。これらは、あくまでも代表的な原因でごく一部であり、まだまだ奥深い原因があります。そのためにも、別れたあとに、自分をいろいろ見つめなおす時間というのは必要なのです。それは冷却期間でもあります。
遠距離や親同士の反対にあって別れた場合
これらの場合、一見するとあなた自身の問題ではなくて、相手の環境や自分の家族が絡んだ環境が原因で別れたと思われるでしょう。
だからといって、仕方なかったよね、別れるのは運命だった・必然だったんだよねと終わらせてしまうのはどうでしょうか。
これから新しい彼氏ができて、同じように彼の仕事の都合で遠くへ転勤になって、再び遠距離恋愛になってしまったら、また別れるのでしょうか。
また、新しい彼氏の交際を自分の親や相手の親が快く承諾するという保証はありますか?
物理的な原因や環境が悪かったということで済ませてしまうのは簡単なことです。しかし、それでは、これから先何も進展がありません。
再び同じ環境になったら、また別れるしかないことになります。別れる際に、もっとあなたにできることはありませんでしたか?
振り返ってみて、あの時もっとこうしておけばよかった、あんなふうにするべきじゃなかったなどと思うことがあるはずです。別れの原因を自分の外に求めるのは簡単なことですが、それだと何も成長しないのです。
もっとよく深く考えてみて、自分がもっとこうすべきだったことというのを考えてみて下さい。実はそれこそが、あなたと彼が別れた本当の原因なのです。
自分を受け入れる
自分を見つめなおすには、自分の一体どこがいけなかったのか、なかなか自分では分かりずらいものですよね。
自分の性格は良いのか、悪いのか。でもそれを知ってを直したところで、復縁がうまくいくのかは未知数です。ただ、自分のどこが悪いのか、それを知ってみることは良いかもしれません。
人は悪いところを自覚できている部分と、そうでない部分があります。そうでない部分を知ることは、やはり自分以外の人に聞くしか方法はありません。
それも本当のことを言ってくれる家族や友人にです。それでもソフトに加工して言われる可能性はあります。自分を客観的に見ることはなかなか難しいものです。
だからこそ、自分を受け入れる、ということが必要なのです。もし相手が自分を好きなら、嫌なところも含めて好きになってくれるはずなのです。
それが嫌だということは、根本的な部分が嫌になってしまったということなのです。自分を受け入れて自分に理解を示すことで、どうするべきなのか、そこで自ずと答えが出せるはずです。
自分を見つめるということは、独りよがりにならず、新たな自分の一部分を見つけ出すというところから始まります。